Anime EVANGELION [Visual]



何がここまで惹きつけるのか。
何がここまで狂わせるのか。
他人が何を思っているかは知らない、
私自身にとってエヴァとは何なのか。
そんなことを書き記してみた。
エヴァ ■△■


エヴァの映像表現 先頭へ

エヴァのもう一つの側面である映像表現。
TVの常識を超えた圧倒的な映像表現。
こんなレベルの映像を毎週作り続けてたら、
スタッフはみんな死んでしまうのでは?とすら思えたモノ。

質がTVとしては常識外れなレベルなのもあるけど、
映像の作り方もTVの絵では無かった。
あそこまでロングを多用した作品も珍しいし。
そして、喋ってる人の顔を映さないOFFショットや、
あおりや俯瞰。そんな意識的で作為的なカメラワークを多用してる。

シンジがミサトのマンションにはじめて来たシーンなんかが良い例。
最後に扉が閉まって「葛城」ってプレートが出るのなんか、
鮮やかとしか言いようがない。

色の使い方も特徴あった。
2話に出てくる病院のシーンのように、薄青く色の抜けたような映像。
本来ありえない色。それを意識的に使ってる。
3話の使徒と倒した直後に活動停止をしたエヴァが、
夕焼けを前に黒いシルエットになってるシーン。
虫の声がそれを嘲笑うかのように鳴いている、そんなシーン。

そして音。
アニメは本来死んでいる絵に命を吹き込むもの。
だからこそ音・音楽は重要な意味を持つ。
その空間に生活感や生命の息吹を詰めるためにも。

エヴァは音の面でも特徴的だった。
静と動。そのコントラストを音で演出してる。
動のシーンでは、ちょっと古めのオーケストラ調の音楽で盛り上げる。
逆に静のシーンでは、まず音楽を使っていない。
静寂の中に響くのは空間に満ちた音だけ。
そんなことを実感させられた瞬間。
シンジが家出をした4話にはBGMと呼べるようなものが全く付いてない。
これに気が付いた時にはさすがに驚いた。
ここまで徹底してるとは思わなかったから。

これだけでも強烈なのに、後半に至ってさらに新たな展開をする。
16話のシンジの心象映像。
まるで適当に線を引っ張っただけのような映像。
ただの黒ではなく。心象風景でもなく。なぜか線。
そんなアニメに対しての重大な挑戦とも思える表現。

そして20話のシンジの心象映像。22話のアスカの心象映像へと続く。
26話に至っては「こんなのをTVで放送してもいいんだ」
なんてぼんやりと考えていたりもした。
もはやアニメですらない。という意見もあながちハズレではないかも。

そんな圧倒的な映像表現の作品であるエヴァ。
どの程度の人がそれに気が付いているのか。
「大人の心を熱くする傑作SFアニメ」なんてレベルじゃないのに。
あまりにも世の中で語られていることの次元が低すぎる。
それはそれは、とても悲しいコト。

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