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エヴァのもう一つの側面である映像表現。
TVの常識を超えた圧倒的な映像表現。
こんなレベルの映像を毎週作り続けてたら、
スタッフはみんな死んでしまうのでは?とすら思えたモノ。
質がTVとしては常識外れなレベルなのもあるけど、
映像の作り方もTVの絵では無かった。
あそこまでロングを多用した作品も珍しいし。
そして、喋ってる人の顔を映さないOFFショットや、
あおりや俯瞰。そんな意識的で作為的なカメラワークを多用してる。
シンジがミサトのマンションにはじめて来たシーンなんかが良い例。
最後に扉が閉まって「葛城」ってプレートが出るのなんか、
鮮やかとしか言いようがない。
色の使い方も特徴あった。
2話に出てくる病院のシーンのように、薄青く色の抜けたような映像。
本来ありえない色。それを意識的に使ってる。
3話の使徒と倒した直後に活動停止をしたエヴァが、
夕焼けを前に黒いシルエットになってるシーン。
虫の声がそれを嘲笑うかのように鳴いている、そんなシーン。
そして音。
アニメは本来死んでいる絵に命を吹き込むもの。
だからこそ音・音楽は重要な意味を持つ。
その空間に生活感や生命の息吹を詰めるためにも。
エヴァは音の面でも特徴的だった。
静と動。そのコントラストを音で演出してる。
動のシーンでは、ちょっと古めのオーケストラ調の音楽で盛り上げる。
逆に静のシーンでは、まず音楽を使っていない。
静寂の中に響くのは空間に満ちた音だけ。
そんなことを実感させられた瞬間。
シンジが家出をした4話にはBGMと呼べるようなものが全く付いてない。
これに気が付いた時にはさすがに驚いた。
ここまで徹底してるとは思わなかったから。
これだけでも強烈なのに、後半に至ってさらに新たな展開をする。
16話のシンジの心象映像。
まるで適当に線を引っ張っただけのような映像。
ただの黒ではなく。心象風景でもなく。なぜか線。
そんなアニメに対しての重大な挑戦とも思える表現。
そして20話のシンジの心象映像。22話のアスカの心象映像へと続く。
26話に至っては「こんなのをTVで放送してもいいんだ」
なんてぼんやりと考えていたりもした。
もはやアニメですらない。という意見もあながちハズレではないかも。
そんな圧倒的な映像表現の作品であるエヴァ。
どの程度の人がそれに気が付いているのか。
「大人の心を熱くする傑作SFアニメ」なんてレベルじゃないのに。
あまりにも世の中で語られていることの次元が低すぎる。
それはそれは、とても悲しいコト。
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