Anime EVANGELION [Thema]



何がここまで惹きつけるのか。
何がここまで狂わせるのか。
他人が何を思っているかは知らない、
私自身にとってエヴァとは何なのか。
そんなことを書き記してみた。
エヴァ ■△■


私が私であること(エヴァの主題) 先頭へ

エヴァにはテーマが無いという。
圧倒的な映像表現の向こうにみえるのは何もない、虚無。だそうな。

え?どこが?
こんなにはっきりとしたテーマを描いてるのは珍しいぐらいじゃないの?
それとも、哲学的なこと、観念的なことはテーマとして認められないの?
そー言えば、「ビューティフルドリーマー」もナンセンスとか言ってたな……
現実と虚構の境界。自分にとって他者の存在の確かさ、不確かさ。
そんなことのどこがナンセンスなのか。ちっともナンセンスじゃないぞ。

エヴァのテーマとは、タイトルに書いてある「私が私であること」。
つまり自分にとっての自己の存在。
エヴァの3人のパイロットがそれぞれに担ってる目的。
それぞれが、エヴァに乗ってる理由でもいい。それこそがテーマ。

レイの「絆だから」。エヴァに乗ることにより、自分が自分になる。
自己の存在を確立していく。それこそがレイに課せられた主題。

シンジは「父さんに誉められたいから」。エヴァに乗ることにより、
自分を自分として認められる。自己の存在を肯定していく。それこそが
シンジに与えられた主題。

アスカは「自分の力を世間に知らしめる」。エヴァに乗ることにより、
自分を他者に対して認めさせる。自己の存在を顕示していく。それこそが、
アスカに与えられた主題。

零、初、弐号機の順に、確立、肯定、顕示になってるのも、あからさまで
わざとらしい。数字が1からではなく0からなのは、存在を確立してない
まだ存在していない状態だから。そんな作為性を感じる。

レイが人間失格な人形のような状態ではじまるのは、そんな主題だから。
そして、だんだん人間に近くなっていくのも、それこそが主題だから。
だからこそ、最後には一人の人間として主題を完遂してくれると信じてた。
それなのに、自分の意志でシンジを救うために自爆してしまう……
こんな不安定な存在のレイだから、たぶんそーなんだろうな、と23話の
最後のシーンは予感していた。だけど、取り替えのきく存在だからこそ、
取り替えのきかない扱いをして欲しかった……
あのあと、あまりのショックでしばらく呆然としてた。
ショックが大きすぎると涙って出ないもんなんだと、実感しながら。

シンジがひたすら他人の顔色をうかがい内罰的なのも、そんな主題だから。
そして、「ボクはこれでいいんだ」に至るのも、それこそが主題だから。
だから、賛否両論のTV版の25、26話もそんな視点で見れば変ではない。
まー他の2人はどーした、と言いたくもなるけど……
時間が足りないから、とりあえずシンジだけでも癒したいという発想は
もろ手を挙げて賛成する気にはなれないけど、否定もできない。

アスカが明るくて前向きで態度がでかいのも、そんな主題だから。
そして、アスカはエヴァに乗り続けなくてはいけない。生きていなくては
いけない。アスカの主題は終わることのない継続こそが重要だから。
なのに、いきなり挫折。潔癖症なのはそのための布石だったのか……
本質を隠して強い自分の仮面を被ったアスカ。でも、被り続ければ
いずれそれが自分になる。今回はうまくいかなかったけど。傷つけば、
その分より強い仮面になる。だから、立ち直ったアスカは前より強いはず。

TVの途中までは3人とも着実にテーマを消化しつつあると感じてたのに。
アスカは汚されたと挫折。レイは自爆して魂がリセットしてしまう。
そして、他人との関係が切れて不安なシンジにとって、はじめてその存在を
肯定してくれたカヲルくん。なのに自分の手で殺してしまう。そして自分の
存在を自分で否定する。自分こそが死ぬべきだったと……

まさに24話の終わりでは、3人ともテーマが複雑骨折してる状態。
あまりに暗い状態で。このまま終われば、みんな怒り狂うのも無理ない。
そんなわけで、映画に期待する気持ちもよくわかる。

個人的には、2人目のレイの心さえ救われれば、他は何もいらないから(爆)。
3人とも癒されればそれに超したことはないけど。もちろん。
レイが人形から人間になっていく時のキーワード「碇くん」。
これを、映画の予告編で3人目が言ってるのを聞いて。
「だめ、碇くんが待ってる」そう、このコトバ。
これだけに全ての期待を託して。待ってますホントのREBIRTH編を。
期待した結末になることを願って。


何のために誰のために 先頭へ

三人目のレイが自らに問うコトバ。
「ナゼ私また生きてる?」
「何のために?誰のために?」

作られた生命であるレイ。
その存在は他人の作為によってのみ認められる。
だからこその、その問い。

でも、良く考えてみると、これは何もレイに限ったことではない。
人に限らず、生命は全て自分の意志で生まれてくるわけではナイ。
そういう意味ではレイとたいして変らない。
人の存在意義という意味を極限まで記号化した存在がレイだから。

だからこそ、自分というものに真摯に向き合った人ならば、
必ずレイという存在にたいして何らかの感情移入があるハズ。
作られた生命であり、不安定な存在であるレイ。
でもそれは自分も同じだということに、気付くから。

押井さんが好きなシチュエーションに、
「人はドコから来てドコへ行くのだろう」
というのがある。まさにコレ。
人類普遍の哲学的テーマであって、絶対解けないテーマ。

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